2015年12月25日
本日のブログは 笑ってください 明晃印刷の続き
本日はクリスマスということもあり続きは書きますが笑ってください
ここに書いてるブログは真実を書いているので当事者はその当時必死でした
さぁ昨日の続き 大きな仕事を受注した明晃印刷
建築で言えば大手ゼネコン 竹中や大林クラスの仕事を町の大工が
取ったような感じ 何度も言うが親父 おかんは不安でたまらなかったと思う
受注金額もさることながら納期にもし遅れたらということ
俺はまぁーなんとかなるわー的なノリ でも本当に助かったのは
俺が学生から卒業した時に少し印刷会社に勉強をしに行ったことがあって
その時に先輩やった人が独立をされてデザイン会社を立ち上げていた
俺はその人に一緒に協力してほしい旨を伝えた
その人はまぁ デザイン会社を経営しているが親父さんが建てたビルの管理も
している人でそういう人でないと俺には不都合であった
それはなぜか この大きな仕事の資金を回すのには協力してくれる会社も
そこそこ資金がある会社でないと無理 なぜか 大きな建築物を建てるときは
工期が数年かかる それにたくさんの業者がかかわるが 建物の竣工時に一気に
支払をするわけでなく 半期 半期で支払をしなくては業者が干からびてしまう
俺の会社も実は その受注を銀行に見せればお金は確実に借りれるが
俺の両親は お金を借りること = 悪 という図式があるので一切お金を借りることはしない
自分の持ち金で勝負しなさいと俺も教育を受けてきた
恥ずかしながら 俺 この歳になっても一枚のカードももつていない 小さい時の教育とは
本当にある意味素晴らしいものである
話は戻って その先輩は快く仕事を引き受けてくれた 協力するよーと
支払いもすべて納品が完了してからでいいよという条件 本当に助かった
さぁ4校の仕事が始まった だいたい1年半から2年ががりの仕事である
その間に本当にたくさんの物語もある これからが笑い話なんだけど
学校には夏休みというものがある その時担当の先生は無性に会社(明晃)に
来て校正をしたいと言われる 俺にとっては来られては超まずい
親父 おかん おっちゃん のあのボロボロの明晃印刷に来られては・・・えらいことになる
まぁ大変であった 最初 各担当の先生も写真のように俺の会社も大きく 受付の女の子が
電話対応するイメージが絶対にあったのである 明晃に電話をする
だいたい俺がでる 先生が言う 偶然に高崎さんばかり電話にでるねぇと
俺はほんま偶然ですよね みたいな感じ でもこれでは少しおかしくなると感じた俺
おかんが電話にでる あ・・まずい おかん 「毎度 明晃です」 あかんあかん おかん
ちゃうねん その時はまだ№ディスプレーが無いから どこからかかってきたのかもわからない
カミングアウトすればええことを俺のこだわり おかん 今度電話かかってきたら 少々お待ちくだ゜さいと
絶対いうて ほんで企画部の高崎に代わりますいうてや 絶対頼むでと 笑
電話が鳴る 俺が一人二役する場合もあった今から考えたら自分でも吹いてしまう
俺がでる はい 少々お待ちください 企画部の高崎にお繋ぎいたします
いうて心地よい待ち音楽を鳴らし たぶんモーツァルトくらい流れていたと思う
30秒くらいしてから 少しトーンを高めの俺がでる はぃもしもし 先生お世話になります・・やて
それでも先生は大阪に出る用事があるので一度明晃さんにお邪魔させていただきますと言ってくる
たくさんの先生が言ってくる カミングアウトすればこの先の仕事に支障がでる いやいや今から
考えれば出ないんやけど こんなぼろぼろの明晃印刷を見た時 先生は多分漠然な不安に駆られるあろう
なんとか阻止をしなくてはいけない 先生から電話 また来たいという電話
先生申し訳ございません 弊社はセキュリティの問題で現在重要な書類関係の印刷を行っています
なので来ていただきたいのは山々なのですがその旨ご理解いただけますかーと
そりゃその手は何度も使えない なんやかんやかわしながら夏休みが終わる 先生の訪問したい電話も
一段落を迎える 笑うかもしれないが俺はその当時は必至やった
今から考えれば笑い話やけど 大きく そして最新の印刷会社に見せたかったという気持ちがあった
変なプライドがあり 絶対に会社を見られてはいけないと意固地になっていた 笑
また続きは書きますね メリークリスマス ☆
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