2015年12月24日
かかってこいやー 何とかなる精神

本日は少し時間もあるので続きを書いていこうと思う
多分みんな続きを期待していると思うので
俺は母校の大きな記念誌という仕事を受注した これは1年半がかりの仕事
だから建築で言えば建売住宅でなく注文建築みたいな感じなのである
だから完全なオリジナル作品 さぁ 仕事の取れなかった2社の会社
明晃印刷?どこの会社や たぶん上司には怒られてたと思う パッと出の会社に
根こそぎ美味しい仕事を持ち去られたのだから
俺は俺で仕事は受けたけど さぁ どうするねんて感じ だって冊子のレイアウトなんて
知らんし デザインなんて勉強してないし 資料の整理なんか全然やったことないやん
でも人間は何とかしなくてはいけない時は何とかなるもんである
俺がこの後きっちりと明晃印刷を軌道というか立て直し 印刷以外の事業を
始めた時も またこの後話をするが 対面占いの会社を立ち上げたときも
雇うている占い師のボイコット騒ぎが勃発して にっちもさっちも行かず
頭を悩ませる事件もあったが最終 俺が占い師をしたという笑い話も今後話をした行きたい
人間なんでも切羽詰まったらなんとかする くらいのパワーが沸いてくる
これは俺もこの後たくさんの事業を興したが もう崖っぷちというときにアイデアが沸いたり
たくさんの問題を渡り歩いたり なんとでも人間はなると思う
さぁ話をもとに戻す さぁ 俺よ 仕事を受けてレイアウト デザイン 資料整理 これぞ
本格的な印刷会社のお仕事 さぁどうする俺 とにかく図書館に籠ってたくさんの本のレイアウトを
研究した 身に叩き込んだら なんとか話はできるはず 相手の先生は印刷に関しては
俺の方が先生や 俺が引っ張っていかなあかん 俺はそんな専門的な知識なんて一切もつていない
でも人間最初は誰も白紙やし そこに色々と刷り込むから 経験するからわかってくるんやと
まぁ読んだり 研究したり デザインに関しても最初は真似事から入らないとわからない
冊子だから行間 文字の詰め方 写真の配置 ページ繰関係 どんな本ができるねん 笑
悩みに悩んだ 学校行ってる時よりむっちゃ勉強をした 印刷というか冊子デザインについて
あとこの仕事は1年半がかりの仕事やからこの仕事ばかりやってても毎月の売り上げも
確保していかなあかん まぁ試行錯誤 周年記念誌は歴史書みたいな感じやから
資料整理が本当に大変 俺もこれは一気にいけると読んだから 典型的なアホで
母校だけに限らずその年のありとあらゆる学校をしらべ 営業に回った
そりゃライバルの会社も なんやあの明晃っていう印刷会社はってそりゃ圧力バンバン
でもその方が俺はМやから燃える かかってこいやー お前らデカい会社なんか
俺は負けへん お前らの方が大学出てエリート いやいや スマート営業なんか
くそくらえじゃ 俺は俺なりのスタイルで根こそぎ食ってもーたるわー みたいな勢い
その年にいきなり4校の大きな受注をした 母校だけでもえらいこっちゃー言うてるのに
4校一気の受注 売り上げなんてその4校で明晃の何年分やねんみたいな感じ
でも本当に大きな会社を選べばええのに 俺の親父 おかん おっちゃんの 街のはんこ屋みたいな
明晃印刷に大阪の由緒ある歴史のある大きな学校が俺に仕事を託してくれた
今俺の会社のある野田にらある 大阪では指折りの工業高校 西野田工業高等学校なんて
90周年の大きな節目の記念誌 80年史は大日本印刷が受注していた
でも俺が90年誌を大日本印刷相手に街中のはんこ屋みたいな明晃印刷が受注した
さぁ 初年度 一気に4校 それも大阪では指折りの有名校の記念誌を取ったで
まぁ続きはこの後書きますが 一番混乱したのは俺一人で営業 企画 レイアウト 構成
全てオールラウンドでやっので訳が分からなくなってきた 4校の歴史一―気に
頭の中に把握しないといけない 大きな会社なら一校 専任担当がいるはず
俺は俺自身が明晃そのままやから 全部こなさなあかん さぁ どーなるねん
記念式典なんて納期ずらされへんで 納期ずれたら会社が飛んでまうでー 笑
Posted by 明晃印刷株式会社 at 18:02│Comments(0)