2015年01月09日
働くという概念

働くという概念
毎朝定時に起きて電車に乗り 定時に帰り
毎月給料を一定額もらうというルーチン
そひれが普通というのが小さい時からの教育であった
でも俺の生まれた庄内という下町は大体の子供が商店街の息子や
小さな工場の息子や中小の従業員が定番であった
俺の親父も最初は50CCのバイクで回る印刷屋さんであった
商店の息子たちは日曜日も仕事やから遊びにもいけない
俺は俺で親父も不定期にかえって来たり 仕事があったりなかったり
だから普通のサラリーマンというのが俺にとっては理想なんやなぁと
子供心に感じたことがあった
8時に出勤 休日は子供と遊び 少しゴルフしたり 少し同僚と飲んだり・・・
それが働く基本かなぁと思っていた
一定の安定した給料を頂き 毎月毎月お父さんはお小遣いをお母さんから頂き
その中でやりくりするということ
しかし 俺が高校の時 それが一変したことがある
高校の時の夏休み みんなバイトも許可だったので俺らの時代時給650円で
みんな8時間一生懸命働いていた
俺は周りがワルが多かったので もっと効率の良いバイトはないかなぁと探していた
ワル友達から声がかかる 一日18000円やてと え 夕方から10時まででかいなと俺
それええなぁ 俺行くわと 面接あるんか? いやいやそんなんいらんわ 即採用やて
と俺は勇んでいくと いきなりハイエースに乗せられた ほぽ゛拉致状態
どんな仕事するんですかと俺 かなり不安 兄ちゃん楽な仕事や
着いたのは祭りの会場 兄ちゃんあいつについて組立手伝ってくれと
屋台の設営 露天の仕事で゜あった いきなりメジャーデビューさせられて
仕事が終わるのが10時 お疲れ次行くでと俺は車に再度乗せられそうになり
いやいや俺家帰らんと親心配しますわーと なんや兄ちゃん金玉ついとんか 男やろ
お母ちゃん恋しいんかと いやいやそれ普通やろ 拉致やん
でもその時いろいろとその露天の会長と話をさせていただいた
兄ちゃんよ 働くってな 俺らは一年のうちにこの祭りの日しか働かんの
一年で一年分稼ぐんや だから必死なんやで みんな見てみ 黙々と
仕事しとるやろと え・・一年で一か月しか働かないのですかと俺
俺の理想がガタガタと崩れた そうかこんな生き方もあるんやなぁと
一か月で数千万の利益を上げる そーなんや これも労働の形なんや
そこからものすごく商売というものに対して興味がわいた
そうか こういう生き方もあるんやなぁと しかしリスキーはリスキー
一定の額を毎月稼げない 反対に言えば博打みたいな感じ でもなんかかっこいい
俺は本当に憧れて それで露天は少しいかついのでその一日2万円ほど頂いて
引退した それからそのことを一つの考えとしていろいろとチャレンジをした
東京に出たとき 最初お店を吉祥寺に出した時 最初は自分たちで販売を開始した
しかし確実に売り上げが伸び利益は上がるが所詮自分たちの一店舗の売り上げのみ
そうしたらこういうビジネスモデルを構築しそれをスタイルとして反対に売り方や
ノウハウを提供しそれをモデルにすればどせうかなぁと考えた
これはいわゆるフランチャイーズである そのボスになればおもろい
一気に17店舗まで膨らませた たくさんのお金が入ってきた 見たこともないお金
しかし溺れたのも事実 フランチャイーズは追われるビジネス
次々と商品開発をしなくてはいけない 止まってられない
俺は利益を散財してしまった だから追いつけなかった時代に飲み込まれ
栄華は3年ほどであった すごく東京で勉強をさせていただいた お金は怖い
そして大阪に戻るとき 大手の会社が関西進出ということで関西のある会長さんの
お願いでその進出企業のお手伝いをさせていただいた
その時のご縁は今も頂いているがその時もものすごく勉強をさせていただいた
それは人工という仕事 人材派遣という仕事なのである
今だから言えるが大手さんから人工 (一人の労働力)につき
12000円が支給される そして俺は人を集めた それも優秀な人
30人集めて バイトとかスすべて混ざっていた 一人一日8000円を支給してあげる
ということは差額4000円/一人俺らの利益なのである
ということは一日濡れ手に泡の120000円が入る × 25日 ざっと300万
の1年間で・・・これは自分で何も手をかけずに生まれる金額
その他いろいろと絡んでくるのでそうとうな利益なのである
まぁいろいろと経験して 今コツコツと職人ができて 俺は商売に関しては師匠みたいになってるので
なんでも聞いてください 笑
Posted by 明晃印刷株式会社 at 09:43│Comments(0)