2014年04月21日
恩義があるねん 俺にはさ

実はあまり知らないと思うが
実は俺はかなり恩義があるのである
俺はプロデュースしているみたいに実は傍からは見えていますが
俺は実は中本に対しては恩義があるのである
おそらく誰も知らないと思う
俺は今まで色々と事業を立ち上げて色々とそれなりに成功してきた
しかし俺のパターンは3年から5年周期なのである
今回活版という家業を継いだ 最初やはり俺は活版をビジネスの仕掛けと
考えていた 全く活版に対しても思い入れも無いし 活版自体を飯の種しか
考えていなかったのは事実 活版は仕掛け次第で行けると3年前に
考えた 事実 成功するのはわかっていた やり方 仕掛け方なんて
今までの幾多のビジネスから考えればいとも容易い
案の定仕掛けは効を奏して上手く行った
今まで明晃印刷なんて どこの弱小企業・・・と言った感じ
実際俺が東京から戻った時 親父とオカンは廃業の話をしていた
健治は自分で食べていけるから心配はないわって 言われていた
俺も実際は次の事を考えていた しかし一度活版もええかなぁと
これをビジネスとして仕掛けていけば面白いと考え色々と仕掛けを打ってきた
実際すべて上手く行き 明晃印刷の知名度は歩けば指をさされるくらいにまでのぼつた
しかしだ・・・俺は3年経った 最後のジュンク堂とのコラボレーションが終わった途端
ぷっつりと糸が切れた モーええかなぁと その時に実は東京で色々と事業を
やっている連中からのオファーが事実あった 心がかなり揺れた
実際 傾いていた・・・その時に中本というデザイナーが手伝いに来てくれるようになった
中本とは色々と活版について手伝いをしてくれた なんも俺は考えて無かった
俺が多分その時に呑んだか何かで 「俺 次あれやりたいねん」みたいなことを言った
その時の中本の言葉がまだはっきりと覚えている
「また逃げるんですか?」 はっきり言ってむかついた 何を小娘が・・・腹の立つ 偉そうに・・・
何故キッチリと向きあわないのですか・・・また俺に言い放った やかましいわ 多分俺は言うた
でもその時にちょうど 東京の表参道の個展の話になったのを覚えている
どうせ 無茶苦茶な話 えらそうにやれるならやれや・・みたいなことを言ったと思う
彼女は現実に無茶苦茶な個展に対して真摯に向き合い それを実行させた
それは成功とも言い難い出来栄え しかし彼女はその場から逃げず正々堂々と向きあい
闘ったのだある その時に俺は自分が恥ずかしくなった 俺って一体何なんだろうと
何かあれば 飽きる それは向き合わず困難をさけ次のステージを考えている
それって実は逃げてるのかなぁと・・・しみじみ思うようになった
恥ずかしい話 この26歳の小娘に対しては心より感謝をしている
俺は恩義がある 実は俺が助けられたのである それをあまり知られていないので書いてみた
だから俺はこいつが 俺の事 もーええわ 言うまで俺は忠義を尽くすねん 笑
ありがとう 優
Posted by 明晃印刷株式会社 at 15:05│Comments(0)